蒸気機関はイギリスの産業革命の中でも最も初めに動力源となった重要なものでした。
人間はもともと火を使った生活をしてきましたが、今度は風力や水力等を利用するようになり、次に熱を動力として利用することになったのです。
しかしここにニューコメンが蒸気機関に目をつけることとなりました。
それならば産業革命の時に開発された蒸気機関車はどのようなものだったのでしょうか。
ここでは蒸気機関車と産業革命について解説します。
蒸気機関の誕生
まず、産業革命が起こっていたときには炭鉱において排水をどうするかということが問題視されていました。
最初は馬の力によって排水作業が行われていましたが、たとえ馬を増やしたとしても排水には追いつかなかったのです。
そこで人や動物の力を超える何かができないかと考えられるようになり、蒸気機関が出来上がりました。
最初には1698年にトーマス・セイヴァリが考案します。
しかしこれには排水をするだけの力がなく、1部の炭鉱で用いられるだけに過ぎませんでした。
18世紀に入り、ニューコメンが気圧機関と呼ばれるものを作り上げます。
そしてこの欠点を解決したのがワットでした。
蒸気機関車の完成
1776年、アメリカが独立していた年にワットは蒸気機関を作り上げました。
輸送の需要が高まっていた産業革命において、石炭を使うことによって動力源とするという方法が発見されたのです。
これは1番最初にこの蒸気機関を用いた自動車が考えられました。
しかし蒸気自動車は実用化することがなく、ごく1部で使われて終わってしまったのです。
特に舗装されていない道路では車体を支えることができず、普及することなく終わったのです。
そして蒸気船というものも作られました。
蒸気機関車の誕生
重たい車両を支えるためには鉄のレールが必要でした。
つまり蒸気機関車というものが歴史上に登場することとなったのです。
初めて蒸気機関車が出来上がったのは1804年でした。
イギリス人の手によって作られた4.5トンの蒸気機関車は非常に不格好なものではありましたが、時速6キロほどで動くことができたのです。
そして長距離でも走行することができるSLを制作したのがスティーブンソンという人物でした。
イングランドに61キロの鉄道が出来上がり、そこで全長9メートル、6.5トンの蒸気機関車が走ったのです。
今ではこのような蒸気機関車はほとんど走っていませんが、1部の愛好家たちには模型として愛されています。
まとめ
いかがでしょうか。
蒸気機関車は当時の人にしてみると画期的な発明だったのです。
そしてそれはイギリスの産業革命を支える大きな役割を担いました。
日本では明治時代に入るまでこのような蒸気機関車が走っていたとされています。