産業革命が起こったとき、イギリスは植民地主義をとっていました。
そしてこの植民地主義によってイギリスは産業革命を行うための資本を手にいれたのです。
それならば植民地主義はどのように産業革命に影響与えたのでしょうか。
ここでは植民地主義と産業革命について解説します。
太陽の沈まぬ国と言われたイギリス
イギリスは実に多くの国を植民地としていました。
例えば今世界地図を思い起こしても、カナダやオーストラリア、ニュージーランドもイギリスの影響を受けていたことがわかりますね。
この時代はインドもイギリスの支配を受けていました。
このように様々な地域に植民地を持っていたため、24時間どこかしらイギリスの占領地が昨日していたわけです。
そのためイギリスは太陽の沈まぬ国と言われていました。
特にイギリスの植民地主義はインドに影響しており、1600年、日本で関ヶ原の戦いが行われていた時に東インド会社が設置されたのです。
インドからの綿布の輸入
当時のイギリスはインドで作らせた綿布を海外に輸出し、自分たちもそれを使っていました。
インド製の綿布は非常に質が良く、イギリスでも人気があったのです。
そしてイギリスはインドの綿布を海外に売り出すことにより多額の資本を手に入れました。
産業革命を行うためには科学技術の発展のみならず、資本や労働力が必要になります。
イギリスは自らの植民地主義によって多額の資本を手に入れ、そしてその植民地の人々がいるために労働力にも困らなかったのです。
さらに産業革命によって作られた製品を売り出す海外市場としてもイギリスの植民地主義は役立っていました。
植民地主義はこのようにして産業革命を支えていたのです。
三角貿易による利益
植民地主義以外にもイギリスの帝国主義は三角貿易によって様々な利益をもたらしていました。
まず、イギリスからアフリカにはラム酒や武器、雑貨が送られていました。
そしてアフリカからアメリカに黒人奴隷が送られていたのです。
アメリカからイギリスには砂糖や綿花が送られ、これがインドでの綿布生産に役立っていました。
そして産業革命が起こると多くの労働者が必要となり、この人々には三角貿易で手に入れた砂糖が役立ったのです。
疲れたときには砂糖が欲しくなりますよね。
産業革命が進むに従い、砂糖産業も発展していきました。
そして黒人奴隷たちがその砂糖プランテーションを支えていたのです。
このようにして三角貿易もイギリスの産業革命を支えたと言えるのです。
まとめ
いかがでしょうか。
イギリスの産業革命はイギリスの植民地主義によって支えられていたといえます。
しかしそれだけではなく、イギリスの帝国主義の象徴でもある三角貿易も産業革命においては大きな役割を果たしたといえます。