アダムスミスと言えば経済学の父とされる存在であり、資本主義社会の基本を作り上げた人物でもあります。
国富論、あるいは諸国民の富という本を書いた人物でもありますが、このアダムスミスは産業革命にどのような影響を与えたのでしょうか。
ここではアダムスミスが産業革命に与えた影響について解説します。
アダムスミスと産業革命
国富論というと、どうしても経済成長等について書かれた重要な本であり、産業革命を背景として出来上がった本、というイメージを持っている人もいるかもしれません。
しかし、実はアダムスミスが活躍したのは産業革命が起こる前のことなのです。
蒸気機関を作り上げたワットという人物はアダムスミスの友人でした。
そしてこの蒸気汽関が大量生産される前、アダムスミスはワットに対し、イギリスはどのように発展していくのか、彼なりの学説を聞かせたと言われています。
今までの経済というのはほとんど成長していませんでした。
最も経済を成長させなければいけないという概念が存在していなかったともいえます。
しかしアダムスミスが経済成長について語ることにより、世の中は「経済は成長させなければいけないものなのか」ということを学んでいくのです。
アダムスミスの考え方とは
アダムスミスの経済は所得分配論というところに特徴があります。
つまり分業を行うことによって生産性を拡大させるということを重視しており、仕組みと市場の関係を示したのです。
例えば、ケーキなどを分け合う時、確かに取り分自体を大きくすることができますがそれよりもケーキを大きくすることによって分け前を大きくすることが可能ですよね。
資源や経済も同じです。
経済を大きくすることによって自分の利益が増える、という考え方こそアダムスミスの経済学の基本なのです。
イギリスの経済概念について
産業革命というのは18世紀から19世紀にかけて起こったものですが、この時代のイギリスでは重商主義が大切にされていました。
これは貨幣こそが富であるという考え方を持っており、賃金があればいくらでも海外から好きなものを購入することができると思われていたのです。
そして金銀を持つ国家こそ、豊かな国だと考えられていました。
しかしイギリスには金がありません。だからこそ自分の特産品を海外に出し、海外の輸入を抑える方法が重視されていたのです。
政府が介入することによって意図的に輸出を大きくし、輸入を制限することによって貿易差額を生み出していました。
これが重商主義なのです。
まとめ
いかがでしょうか。産業革命が起こる前に活躍したアダムスミスは、資本主義の基礎を作り上げた人物だともいえます。
もしもアダムスミスがいなかったら、同じく産業革命が起きていたとしても結果は変わっていたかもしれません。