産業革命が起こる前、ヨーロッパでは三角貿易が行われていました。
三角貿易は産業革命を支えることとなり、この三角貿易がなかったら産業革命は起こっていなかったかもしれないと言えるほど重要な役割を占めたのです。
それならば産業革命と三角貿易にはどのような関係があるのでしょうか。
ここではこれらの関係性や産業革命が三角貿易に与えた影響について解説します。
三角貿易について
でも昔からヨーロッパでは三角貿易というものが始まりました。
簡単にいうとイギリスがアフリカ大陸に雑貨や武器を送り、アフリカ大陸がアメリカの西インド諸島に黒人奴隷を送り、西インド諸島がイギリスにタバコや綿花、砂糖、コーヒーを送る、という形の貿易です。
これによって貿易先を仕立て、利益を生み出そうとしたことが夢であり、どの船も常に空ではないということが特徴的でした。
そしてこれによってイギリスは多額の資本を手に入れることが可能になったのです。
特にこの時代のイギリスは世界の工場とも言われており、特にインドで綿布を作らせてイギリスに輸入していました。
それによってイギリスにはお金があったのです。
イギリスの繁栄
特にイギリスの中でもリバプールは奴隷貿易によって繁栄しました。
リバプール自体が奴隷貿易先の拠点になっていたのです。
そのためリバプールやブリストルなど奴隷貿易によって栄えていた港町にはより多くの木綿工業が発達することになりました。
三角貿易が産業革命を支えることとなり、産業革命が始まってからも多くの工場が進出していきます。
しかし、産業革命が進むに従ってイギリスでは自由貿易を望む声が高まり、さらに人道的な理由から奴隷貿易を廃止するべきだという声が高まりようになったのです。
そして1807年には奴隷貿易が禁止になり、1833年には奴隷制度が廃止されることになりました。
つまり、三角貿易は産業革命を支えるためには重要なものでしたが、産業革命が起こった後、徐々に収束していくのです。
南北戦争との関わり
イギリスが産業革命を起こしている間、アメリカでは南北戦争が起こりました。
アメリカの南部は綿花プランテーションで成り立っており、その綿花を海外に輸出するために自由貿易が求められていたのです。
そしてイギリスはその綿花を使って産業革命を発展させるという意味で、アメリカの南部の支援をしていました。
しかし奴隷解放宣言が出されたことによってアメリカ南部は奴隷制の存続を求めているということがあからさまになると、人道的な理由からイギリスはアメリカの南部の味方ができなくなったのです。
それによってアメリカでは北部が勝利を収めることになりました。
まとめ
いかがでしょうか。
三角貿易はイギリス資本をもたらし、イギリスはその資本を元に産業革命を起こしたのです。
つまり、三角貿易がなかったらイギリスの産業革命が起こっていたかどうかは分かりません。
それほどまでに三角貿易はイギリスを繁栄させるきっかけとなったのです。