18世紀の半ばからイギリスで世界初の産業革命が始まります。
それならば、イギリスは産業革命以前はどのような産業を行っていたのでしょうか。
それまでのイギリスはかなりのんびりとした産業が行われていたと考えられています。
ここでは、イギリスの産業革命以前の産業について解説します。
それまでは手作業
産業革命以前のイギリスでは、機械を使わずに手で作業をするという工場制手工業が一般的でした。
この生産自体は家内制手工業、問屋制手工業、工場制手工業の3つに分けることができます。
家内制手工業は農家自らが原材料や道具を調達し、手作業で商品を作り出すことを指します。
問屋制手工業は問屋が農家に原材料や道具などを貸し出し、農家が手作業で商品を作り出すことを指します。
そして工場制手工業とは、資本家が労働者を向上に集めて分業・手作業で商品を作り出すことを指し、マニュファクチュアと呼ばれることもあります。
このような手作業こそ、産業革命以前の産業になります。
工場制機械工業への変化
産業革命が起こったことにより、産業は工場制機械工業に変わりました。
労働者を工場に集め、機械を用いて大量生産をすることが可能になったのです。
そして蒸気機関、水力、電機などが用いられるようになり、産業が一気に効率化したのです。
発明された機械
そんな産業革命においては綿織物の産業を簡単にするための機械が多く発明されました。
まずジョン・ケイが飛び杼を作り出したことにより、1人あたり8本の糸を同時に紡ぐことが可能となり、糸が足りなくなりました。
そこでハーグリーブスがジェニー紡績機を発明し、技術革新が起こったのです。
今度はアークライトが水力を動力源とする水力紡績機を開発しました。
数年後はクロンプトンがジェニー紡績機と水力紡績機の長所を取り入れ、ミュール紡績機を作り出します。
今度はカートライトが水力紡績機をヒントにして力織機を作り上げ、綿織物が飛躍的に発達していったのです。
飛び杼が発明されてから綿織物の生産量は劇的に増えて行きました。
まとめ
いかがでしょうか。
産業革命はイギリス国内の綿織物工業に大きな変化を与え、それ自体はインドの綿織物工業にも打撃を与えました。
インドの綿織物は売れなくなり、その代わり原材料である綿花を栽培し、そしてイギリスの綿織物を輸入しなければいけなくなっていくのです。
そしてこれは、アメリカ南部の麺かプランテーションにも大きな影響を与えました。
アメリカではこれをきっかけとして、南北戦争への道が開かれていくのです。