イギリスの産業革命で変化を遂げた綿織物について

18世紀に入り、イギリスは世界で初めての産業革命の時代を迎えました。

その産業革命は綿織物から始まりましたが、それは一体なぜだったのでしょうか。

綿織物が発達したことにより、これはイギリスの植民地であったインドとの関係も大きく変化していきます。

それならば、綿織物はどのように変化したのでしょうか。

ここでは産業革命における綿織物について解説します。

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なぜ綿織物から始まったのか

1600年、日本で関ケ原の戦いが起こった年に東インド会社が設立されました。

東インド会社を経由し、イギリスにはアジアの物品が入ってくるようになったのです。

アジアから緑茶が運ばれた際は、その緑茶が船の中で変化し、紅茶になったことからイギリスでは紅茶が飲まれるようになったという逸話もあります。

そんな中、インドからもたらされたものがキャラコと呼ばれるインド産綿織物でした。

それがイギリス国内で流行り、国内で安く綿織物を作ったら売れるのではないか、とイギリス人が考えたことが産業革命の始まりでした。

紡績と織布の技術が進歩

1764年、ハーグリーブスがジェニー紡績機を開発し、1人で8本の糸をつむげるようになりました。

そしてその5年後にはアークライトが水力紡績機を開発し、熟練技術が必要なくなります。

これをきっかけに大量生産が可能になりました。

さらにクロンプトンがミュール紡績機を作ったことにより、良質の糸が大量に作られるようになりました。

このようにして紡績機が発達し、糸が簡単に作られるようになったのです。

織布の進歩

同時に織布も大きく変化していくことになります。

1733年にジョン・ケイが飛び杼を作ったことにより、作業効率が4倍ほど上がりました。

しかしこの効率の良さから綿糸が不足してしまい、ここから紡績機の開発が始まります。

1785年にはカートライトが力織機を作り上げました。

蒸気機関を導入したという特徴を持ち、これによって今までよりも更に早く布を織ることが可能になったのです。

ジョン・ケイの飛び杼を使うよりも約4倍、早く布を織ることができました。

このようにして織布が進歩し、イギリスの綿織物は急速に進化することになったのです。

まとめ

いかがでしょうか。

インドを植民地としており、東インド会社があったからこそ、イギリスはインドから大量の綿織物を手に入れていました。

それを国内で作ろうと考え出したことこそ、イギリスで産業革命が最初に起こったきっかけになったのです。

そしてイギリスには資本や労働力が豊富にあったため、その実現が可能だったのです。

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